『宝の海のお届け人』植木勇次のブログ

長崎県諫早市小長井町で漁師をしています。『漁師への道』や『有明海の魅力』などを書いているブログです!

叔父の存在。

みなさん、こんばんは。
長崎県諫早市小長井町の漁師の息子、
『宝の海のお届け人、植木です』

ここ最近、朝晩と涼しく
秋といった感じです。
通りで、飯がうまいはず‼︎
ビールは、いつもうまいですが…。


森文義という存在。

私には、森文義という
叔父がいました。

そう、もう過去形です。
今年の1月に亡くなりました。

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右が叔父。
左が母。
左2が祖母。
真ん中が叔母。
叔父が長男で、私の母は一番末っ子です。

ちなみに叔母と
私の父は姉弟です。

文字で書くとややこしいですが、
兄妹同士で、嫁いだり嫁がれたり、
ラジバンダリー。

血が濃ゆい訳です。


諫干閉め切り20年の訃報。

叔父が亡くなって、しばらくした日。
長崎新聞に叔父の事が掲載されていました。
報道部・大場泰造さんの記事。

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【内容】
おくやみ欄の作業中、1本の原稿に目が留まった。
小長井町漁業組合長の森文義氏。享年67歳。
諫早の支局時代に出会った。
諫早湾干拓事業の潮受け堤防閉め切りから間もなく20年という節目に届いた訃報に、粛然とした。
森氏は、諫干事業の着工前、組合長として事業への同意や漁業補償契約を結んだ。
組合内で賛否が割れる中、苦渋の決断だった。
だが、着工後、二枚貝のタイラギなどが工事で壊滅的被害を受けたとして国や県を相手に補償請求訴訟を起こす。
「きゃーさえ取れればね、きゃーさえ。」
生前の言葉が耳に残る。
「きゃー」とはタイラギのこと。
苦渋の決断を十字架として背負い続けられたのではないか。
ご冥福を祈りたい。
一方で、湾内ではタイラギに変わってカキやアサリの養殖に地軸に取り組む業者がいる。
同町漁協を中心としたカキのブランド化などは明るい話題だ。
諫干事業の関連訴訟で「有明海振興基金案」をめぐる和解協議が大詰めを迎えている。
開門、非開門いずれにせよ、巨大事業の足元で長年苦闘を強いられてきた湾内や近傍の漁業者の歴史があることを銘記したい。

とあった。

叔父は、有明海の為に闘っていた。
私にとって、自慢の叔父だった。

叔父は、よく選挙に出ていました。
他の候補者は、派手な選挙カー
派手な看板を付けて選挙活動。
叔父は、セダン、時には軽トラに看板を付けて、
自らマイクを持ち、選挙活動。

私は叔父に聞いた事があります。
「何で、親戚中からやかましく言われ、そこまでして選挙に出ると?」と。

すると叔父は、
「勇次、オイの話を大勢の人が聞いてくれる。主張出来る。伝えないといけない事が、オイにはある」と。

その時は、半分も理解出来ませんでしたが、
今なら分かる気がします。

燃えるような願望を持った人の言葉は、
何かを突き動かす力があると
私は思います。

叔父に負けない、燃えるような願望を
私も‼︎

何か変な感じのブログになりましたが、
ちとビールを飲み過ぎたようです。


そいぎんた、また。